シンガポール Singapore

東南アジア南部、マレー半島南端にあるシンガポール島とその属島からな る 国。正称はシンガポール共和国Republic of Singaporeという。面積は618平方 キロで、日本の淡路島(あわじ)よりやや大きい。人口258万6000(1996推計)。1965 年、マレーシア連邦から離脱して独立した。古くはトゥマシクとよばれたが、12 世紀にスマトラ島の王子がここで獅子 (しし)(シンガ)を見て獅子の町(シ ン ガ・プラ)と命名したという。のちにそれを英語読みにしてシンガポールと なっ た。マラッカ海峡、シンガポール海峡など世界の交通、戦略的要点を扼(や く)す る重要な位置を占める。独立後、経済的発展が目覚ましく、1人当り国民 総生産 (GNP)はアジア(中近東を除く)で日本、ブルネイに次ぐ。首都は シンガポ ール市。


〔自然・地誌〕

シンガポール島は構造的にはマレー半島の延長であるが、狭い ジョホール水 道を隔てて半島部と切り離されている。島の中央および北部は花崗( かこう)岩 性の丘陵地で、最高点はブキ・テマの177メートルにすぎない。南西 部も丘や谷 が錯綜(さくそう)するが、東部は低地が多い。そこをシンガポール川 、ジュロ ン川、ゲイラン川の諸川が南方に、クランジ川、セラングン川などが北 および 東方に流れるが、いずれも小さい。密林はいまは中央部の丘陵地のみに残 り、 水源地保安林とされている。ジョホール水道の東部は水深が大きく、セレタ ー 軍港を有するほどであるが、西部は一般に浅い。なお南部のシンガポール海峡 に面してはサンゴ礁の発達もみられる。 気候は、赤道に近いため熱帯雨林型で 、年平均気温27.1℃、年降水量は2282ミリに及ぶが、年間を通じ平均して降るの で明確な乾期、雨期の区別はない。降雨はほとんどスコール型である。 島の南 部一帯にシンガポール市街地が広がる。その南端はフェーバーの丘(105メート ル)となって沖合いのセントサ島との間にシンガポールの商港ケッペル港を抱く 。商業の中心ラッフルズ広場やにぎやかなチャイナタウンも南部の海岸近くにあ る。東西に走るオーチャード通りはかつてのイギリス人の高級住宅地から、多く のホテル、シンガポール大学などの並ぶ市街地区に変わっている。また市街地は 北に延び、トーアパヨ団地のような高層住宅群に続く。海岸低地を埋め立てて の 土地造成も盛んである。一方、島の中央部の丘陵地にはいくつかの貯水池が 並ん で自然保護地域を形成する。かつてゴム園などの分布した北部・東部もチ ャンギ 新国際空港などが開かれて発展しつつある。また島の南西部にはジュロ ン工業団 地が建設され、これとシンガポール市街を結ぶハイウェーもつくられ た。ジョホ ール水道の上には約1キロの長堤があり、鉄道、道路、水道がマレー シアと直結 している。こうして島全体に近代的変貌(へんぼう)が著しいが、ジ ョホール水道 西部に臨む海岸にはなおマングローブなどの茂る地域も残ってい る。


〔歴史〕

マレー人の史書によると、12世紀にスマトラ島の王族の1人がここに シンガ・ プラの町を建設、海峡を通る船舶を制圧して商業的に繁栄したが、14世 紀末に はジャワ島のマジャパヒト王国の遠征を受けて滅びた。その後マレー半島 のジ ョホール首長国の支配下にあったが、荒廃してほとんど居住者もないままに 放 棄されていた。1819年1月、東南アジア進出を計画したイギリスの植民政策家 ス タンフォード・ラッフルズが島の重要性を認めてこれをジョホール首長から買 収した。彼はかつての城址(じようし)(フォート・カニングの丘)に政庁をつく り、市街地を区画して民族ごとの居住地を建設した。近代シンガポールの歴史は これから始まる。1824年に正式にイギリス領、26年にペナン、マラッカとともに イギリス領インド所属の海峡植民地となった。自由貿易港としたため、たちまち 東南アジア有数の国際的都市に成長し、1833年にはすでに2万の人口をもつに至 った。その後1867年イギリスはここを本国直轄植民地とし、軍事的にもアジア政 策遂行の一大拠点とした。しかし住民の大部分は華僑(かきよう)系が占めた。第 二次世界大戦では1942年2月日本軍が占領し、昭南市と改名した。戦後、民族 主 義の高揚によりイギリスから自治を獲得、63年になってマレーシアとともに マレ ーシア連邦を形成して独立を達成した。しかし住民の大多数を占める中国 系住民 はマレー系住民に指導されることを好まず、またインドネシアがマレー シア連邦 結成に反対していたこともあって、65年分離独立しシンガポール共和 国が成立し た。71年末には駐留イギリス軍の撤退も完了し、国防の負担もシン ガポール自身 が負うこととなった。


〔政治〕

政体は大統領を元首とする共和国である。全人口の76%は中国系であ るが、 もともとマレー人の地であった事情を考慮して、大統領には中国系以外の 人( 初代はマレー系)を選んでいる。任期は4年である。しかし国の政治の実権 はリ ー・クアン・ユー(李光耀)首相以下の中国系人が握る。国会は一院制であ る が、独立以来リー首相の率いる人民行動党(PAP)がほとんど全議席を独占し 、彼の独裁的傾向が強い。小国家ながら行政組織は完備し、内閣は13省からなり 、簡素化により能率をあげている。またイギリス軍撤退に伴い国防にも努力し 、徴兵制をとり、歩兵九大隊を主力とする陸軍、二戦闘飛行中隊などからなる空 軍、西ドイツ製ミサイル艇などによる海軍を建設した。国内の政情はきわめて安 定している。外交的には非同盟中立政策を基本方針として、可能な限り多くの国 と友好関係を維持することに努めている。国際情勢に機敏に対応し、多角的かつ 現実的に処理しているが、近年、東南アジア情勢の進展に伴い、東南アジア諸 国連合(ASEAN(アセアン))の強化に努力している。他のASEAN諸国に 比べて発展段階が高く、立場を異にする点が多いにかかわらず、他の四か国と協 調する方針をとっている。実質的には中国人国家であるため、「第三の中国」化 を警戒する声がASEAN諸国に強い。このため中国、台湾いずれとも正式国 交 はもたないが、台湾との関係は密接である。


〔経済・産業〕

シンガポールは長く自由港として仲継貿易で栄えてきたが、第 二次世界大戦 後は周辺各国の経済の自立化とともに仲継貿易は不振となった。こ のため外資 導入を軸として重化学工業を主体とした工業化政策が進められ、産業 立国へ大 きく国策を転換した。これが奏功して1968〜 73年には平均14%の国内総 生産の 成長を示し、現在はほぼ完全雇用を達成、国民1人当り国民総生産(GNP)も5910 ドル(1982)となり、アジア(中近東を除く)では日本に次ぐ工業国 に発展 した。工業は食品、衣料から造船、石油、電子機械にまで及んでいる。そ の中 心は南西部に建設されたジュロン工業団地で、工場数約1000、従業員数7万3000 人に及び、ジュロン・ニュータウンの建設も同時に進められている。政府の意図 するところは、国の人口が少ないため、労働集約部門で他の開発途上国と競争す ることを避けて、オイル・リグ、エンジニアリングなどの資本集約的あるいは技 術集約的産業への転換を計ることにあり、このため高賃金政策をとって労働集約 的産業の整理を行っている。このほか国内消費用野菜などの集約的栽培、周辺水 域での漁業などもみられるが、その規模は小さく、輸入に依存している。 輸出 は、こうした工業化の進展による工業製品と、従来のゴム、木材などの仲継貿易 とからなり、総額207億8796万ドル(1982)に達する。輸入は原油、機械・器 具 類が大部分を占め、総額281億6747万ドルに及ぶ。見かけ上は入超が続いてい る が、金融、海運、観光などの貿易外収入が多く、また外資流入による資本収 支が 大幅な黒字となっているため総合収支では黒字である。なお全貿易高の15.2 %は マレーシア、これに次いで日本が14.9%である。アメリカとの関係も強 く、対輸 出相手国としては第二位である(1982)。シンガポールはまたアジア ・ダラーの拠点としても知られ、同国の経済的発展に伴って金融センターとして の資産も着 実に増えつつある。シンガポール港は依然として海運の一大中心で あり、年間4 万3000隻、2億7100万トンの船が出入し(1978)、また国際空港に は30 の航空会 社が乗り入れて、年間550万人の旅客を運んでいる。鉄道は島を 横断してマレー シア本土へ通じる国際線がある。バス網がよく発達し、乗用車 は15万2000 台(1978 )に達している。


〔社会・文化〕

人口のうち中国系は76%を占め、ついでマレー系15%、インド 系7%、その他2 %であり、複合社会の構造を呈している。マレー語を国語とし、 歴史的条件 を考慮してマレー語、中国語、タミル語および英語の四か国語が公用 語として 認められているが、「行政上の用語」には英語が使われている。イギリス人は著 しく減少したが、それにかわって近年はアメリカ人、日本人の進出が目 覚まし い。政府は、人口密集地である旧市街地の再開発に着手し、いくつかの高 層住 宅団地群を建設しており、すでに全人口の30%以上がこの低廉な団地へ移動 し た。しかし国の経済的発展にもかかわらずなお民族別の生活格差が存在し、「 農村(カンポン)」地域に住むマレー人、インド人の不満は大きい。政府は福祉の 面においても努力しており、人口増加率や物価上昇率を低く抑え、医療設備を充 実させ、またさまざまの厳しい規制を設け(たとえば若者の長髪やたばこの吸い 殻の放棄の禁止など)、「アジアのミスター・クリーン」とよばれるにふさわし い清潔な社会実現を目ざしている。教育の普及は目覚ましく、独立当初からそれ ぞれの民族語のほかに英語を必修として学ばせてきた。しかし最近では英語を偏 重して自国語を軽視する傾向も生じてきたため、その対策が新しい問題となり つつある。いずれにしても人口のなかばが21歳以下という若年層の多い国である ため、教育施設も追い付くのが容易ではない。大学は、シンガポール大学が古く から有名で、戦後中国人系のための南洋(ナンヤン)大学がつくられたが、現在は 統合されて国立シンガポール大学となっている。また技術者養成のための工科 大 学もある。宗教はそれぞれの民族により異なり、仏教、イスラム教、ヒンド ゥー教など各種の宗教が信奉されている。主要日刊紙には英字紙の『ストレーツ ・タ イムズ』、華字紙の『聯合(れんごう)早報』などがあり、国営のSBC放 送がマ レー語、中国語、タミル語、英語の四か国語で放送している。1982 年末 の人口100 人当りのテレビ台数は17台で、東南アジア諸国でもっとも多い。〔日 本との関係 〕第二次世界大戦後シンガポールは、日本の経済成長を自国のモデ ルとし、日本との関係は急速に発展した。貿易面でも日本は第二の相手国で、日 本からの輸入 は機械機器、鉄鋼、繊維品など、日本への輸出は石油製品が約80 %を占める。恒 常的に日本側の出超となっている。ジュロン工業団地への投資 、無償の資金協力 、技術者養成の援助など日本の支援は大きい。また9000 人に 及ぶ在留日本人子弟のため、設備の整った日本人学校も開かれており、日本から の観光客も年間20万人を超えている。




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